随分と日を開けてしまった。さあ、続きを書こう。
いきなり短調の話をしよう
「長調の曲」というお題なのに早速別の話題を始めようとするのはなんという情緒の安定しない行為であろうか、と思われるであろう。
これは根拠のないことではない。なんせ、調性は大きく分けて2つ、長調と短調に分かれるので最初に触れておきたいのだ。
全作品の73%が長調の作品である。モーツァルトの主な注文主は王侯貴族である。短調の作品はアクセントにはなるけれどもそればかりでは気分が陰鬱になる。現代に生きる庶民であるわたしでさえそう思うのだから、彼らが宴席や日常を過ごすのには不適当であろう。
偽作・散逸曲を含めて54曲ある交響曲にしてたった2曲、それもそのどちらかもト短調だ。
12つある短調、それに無数にある短調作品に対して、悲しいという言葉だけで言い表そうとするのは不可能だし、なにせ乱暴過ぎる。モーツァルトの短調作品については悲しさ・暗さではなく憤怒を強く感じるし、ベートーヴェン以降の楽曲については、輝かしき終曲に向かうための第一歩であろう。
さて、長調の曲
交響曲
折角モーツァルトについて触れたので、彼の作品には触れずにはいられない。
偉大なるハ長調、交響曲第41番 K.551を誰もが思い浮かべるであろうが、わたしは交響曲第31番 ニ長調 K.297(300a)を挙げよう。
というのも、彼の交響曲で最初に聞いたのがこの曲だからだ。「パリ」 の愛称はその地の演奏団体の支配人からの注文が由来とされているが、ルイ14世が「新しいローマ」を目指して作り上げようとして約100年後のパリと呼ぶにふさわしい賑やかさがある。
次に上げるのもニ長調の曲だ。
演奏会では10回近く聞いただろうか。サイモン・ラトル/ロンドン交響楽団の2018年9月の来日公演で聞いたのが最後である。フライング拍手がなければ最も感慨深い演奏会の一つになっていたに違いない。
協奏曲
交響曲ではニ長調の曲を2曲あげたが、協奏曲でも同じ調性で書かれた作品をあげる。というのも、弦楽器にとって最も演奏しやすい調性で、ベートーヴェンやブラームス、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲はすべてニ長調である。それだけではなくヴァイオリンが重要な枠割を果たす曲にはこの調性がよく使われている。
ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61
室内楽
ここでようやく別の調性で書かれた曲をあげる。
ヨハネス・ブラームス:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番 イ長調 作品100
愛称のある第1番と演奏機会の多い第3番と比べれば地味な感じがある。しかし、人生の酸いも甘いも噛み分けた人間が語る奥深い味わいを感じるのだ。