書讀む月日

言葉の数だけ世界は拡がる

2020年1月5日 坂入健司郎/東京ユヴェントス・フィルハーモニー 第20回記念定期演奏会

【前日譚】

12月に行ったコンサートは1つだけ、仙台市宮城野区での室内楽演奏会。演奏は1つ目の曲目では残念、2曲目でその残念さを挽回、後半のプログラムは全く予習をしてこなかったけども魅力的な曲だしいい演奏だった。ただ、音が消え入って終わる緩徐楽章ですら元気な拍手を飛ばすというように聴衆が残念ではあった。

次のコンサートは16日、アラン・ギルバート/東京都交響楽団によるマーラー交響曲第6番を聞きにいける。これでコンサート納めにできる。

 

はずだったのだが、年内最後のヴァイオリンのレッスンがあった。しかも、新しく見てもらう曲の初回レッスン。これと天秤にかけたら仙台東京間の交通費を天秤にかけたらレッスンの方が重い。安くはないレッスン費も払ってるんだもんね。

 

なんか、突然コンサート納めにしたくなかった。せめて新年始まって初めてのコンサートくらいはいいものを選びたい。

有名なホールでいいもんないかな…帰省中にちょうどいいのがあるじゃないか。

 収まりが悪い話から切り替えて、新年もいいコンサートで迎えたい。そう思ったのだ。

 

【当日】

東京国立博物館での「特別公開 高御座と御帳台」と、本館2室(国宝室)で13日まで公開されている長谷川等伯《松林図屏風》

www.tnm.jp

を始めとした常設展を見たあと昼食を取り、ヨドバシカメラマルチメディア秋葉原でヘッドフォンやCDレシーバーを見たあと川崎へ。

【現場】 

 

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眺め

いつもはいつでも着脱できるように通路側の座席を選ぶのだけれど、選択するとき座席表をよく見てなくて列中央の座席にしてしまった。たまにミューザで聞くときはやらかす。反省。

 

して、ブルックナー。第1曲からブルックナーらしいしつこすぎるオスティナートの上に声楽が乗るのは、どこかでよく書かれるように、まるでミニマル・ミュージック。繰り返しの上に微妙な差異を出すのがミニマル・ミュージックの味わいなのだけれど、そうしたものは音程やリズムがきちんと合ってないと出てこない。いい…

  

後半開始前にアナウンスが。「曲が終わったら撮影してもいいよ」とのこと。

さあ、2Vn・Vaの刻みで始まりだ。ホルンの立ち上がりが悪いけど、ここを気にし続けたら今後の鑑賞が全部悪いものに聞こえてしまうのでそう気にしないことに。別にそれで合奏が崩壊したわけじゃないし。提示部と再現部の間にある休符はブルックナー交響曲で出てくるようなゲネラルパウゼ並みに間をとった。これからが期待できる第1楽章であった。

第2楽章。終始緩い部分がなく終わるかと思いきや、終始音とその1小節前の音が、従来の鋭く重い音ではなく、柔らかめの音色でふわりと終わる風に変えられていた。聞き慣れている演奏とは微妙に違うギミック(?)は第4楽章コーダにもある。

木管楽器の美しさ、とりわけファゴットが光っていた第3楽章が終わったら、アタッカ気味に第4楽章にはいるのではなく15〜20秒くらい開けてから木管楽器による不協和音の咆哮からレチタティーボへ。よく知っている通りの正攻法だが、トロンボーン男声合唱によるAndante maestosoの直前にはいる前のパウゼは長めにとったり、前半に演奏したブルックナーを時々想起させる仕掛けもあり、コーダの4小節感のMaestosoはオーソドックスな演奏で取られるテンポで入ってからアッチェレランドしてPrestissimoに流れるように入って終曲。

残響が消えて拍手。

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カーテンコール

新年早々いい演奏に出会えました!