書讀む月日

言葉の数だけ世界は拡がる

春に聴きたい曲 #30DaySongChallengeクラシック版 6日目

春に聴きたい曲、というお題である。

こんなときに聞きたい、というのはあまり考えたことないし、その時聞きたい曲を聞いているので改めてそういうふうに考えるのは苦手だ。

また、「春」という表題の付く曲を選ぶというのも安直であるし、それ以上に、表題で楽曲のイメージを縛るのは鑑賞の可能性を狭めるのでこれも避けたい。

伊福部昭が『音楽入門』

音楽入門 (角川ソフィア文庫)

音楽入門 (角川ソフィア文庫)

 

 の中でこう云っている。

 繰り返して申しますが、作品に付された題名は単に作家が、自己のイメージを働きやすくするために選んだ方便に過ぎないのです。 

 音楽の素材は他でもない音そのものだし、歌曲ならばそれにせいぜい歌詞が加わるだろう。言葉が与えられれば音楽のイメージを拡げる助けにはなるだろうが、音楽鑑賞の可能性を広げるならば、音楽はそれに付された言葉からは自由であるべきだ。例えそれが作曲家が自分の作品について語ったことであるとしても。

自分で音楽を語ることは難しいが、始めはあくまでも音楽だけだ。

音楽と言葉の問題についてはいずれ書くであろう。

脱線もここまでに、聞いて、季節としての春、春の付く言葉−例えば青春− を連想する曲を選ぼう。

 春に聴きたい、というより春を連想する曲

冬から春に季節が移るような、気分の晴れ晴れする曲

上記のように、いつどんなときにこんな曲を聞きたい、ということを考えるのが苦手なので題を変更することにした。

アントン・ブルックナー交響曲第5番 変ロ長調

Bruckner: Symphony No. 5

Bruckner: Symphony No. 5

 ブルックナー交響曲、その第4楽章には圧倒的な終曲があるし、クライマックスの築き方がずば抜けて優れている。特に第5番を聴き通すと本当に気分が晴れる。

春のような麗らかな曲

滝廉太郎:歌曲集『四季』第1曲『花』、その出だしは「春のうららの隅田川」。そういうくらい、春はものを日が柔らかくのどかに照らす。

ウォルフガング・アマデウスモーツァルト弦楽四重奏曲第6番 変ロ長調 K.159 

モーツァルト弦楽四重奏曲長調のものはどれも春の陽気を伺わせるし、何より第14番には誰がつけたのだか「春」という名前がついている。ただ、麗らかというには華やか過ぎる印象がわたしにはある。ここは、Andanteで始まる第6番を挙げよう。

 青春を連想する曲

ロベルト・シューマン:ピアノ四重奏曲 変ホ長調 作品47 

シューマン:室内楽全集

シューマン:室内楽全集

 

 作曲年の2年前にロベルトはクララとの結婚を成就させて順風満帆かと思いきや、交響曲の評判はそれほど芳しく無かったが、「室内楽の年」と呼ばれる1842年はかねてからの室内楽へのチャレンジを結実させた期間だった。その成果が、以前の記事で挙げた弦楽四重奏曲第3番を含む3つの弦楽四重奏曲であったり、変ホ長調という同じ調性を持つピアノ四重奏曲やピアノ五重奏曲である。

ピアノ四重奏曲は交響曲第2番に通じる、全曲を通して出てくる主要動機の変形が巧みであり、歌心あふれる旋律に満ちている。明快さや伸びやかな旋律に青春を感じるのはわたしだけではあるまい。