
今年も暑い夏でしたね。涼しくなり芸術鑑賞に向いた季節になりました。
ブログ復帰に一つ、SNSでたまに見る現象について考えていきたいと思います。
「○○(作曲家)らしくない!」
クラシック音楽の演奏会が終演した後は聴衆によりSNSで感想が書き込まれますが、その中に「この演奏はショスタコーヴィチらしくない」「ブルックナーらしさに欠ける」という感想が時折あります。
この手の感想に対する違和感
わたしはこの「〇〇(作曲家)らしくない演奏」という感想に違和感を覚えます。
長い時間をかけて楽譜を研究し、演奏で成果を出している指揮者や演奏家より「○○(作曲家)らしさ」を知っている存在はいないと考えているからです。下手したら作曲者自身が見えていなかった作品の魅力すら炙り出すことがあるので作曲者以上にその作品について把握していることもあります。
そんな演奏家による公演に対して聴衆が「らしくない」と感じる理由を今回は探ってみます。
聴衆の多くは不勉強
統計をとったわけではないのでわたしの観測範囲内での話でしかありませんが、多くの聴衆は読む能力がないからか楽譜を読まず、音楽書もあまり読まないようです。
インプットといえば十数種類に及ぶ同曲異演の音源を聴き比べて曲を知る程度。音源を聞き齧っただけの人が、楽譜研究の末演奏会で成果を出している指揮者や演奏家より「○○(作曲家)らしさ」を知っているとは、客観的に見て思えないのではないでしょうか。
「○○(作曲家)らしさ」を言い出す理由
「〜らしくない」≒「オレの好みじゃない」
この手の感想が飛び出すのは、わたしの観測範囲ですとショスタコーヴィチやブルックナーの交響曲を取り上げた演奏会が多いです。両者の演奏には多様さが許容されていない印象があります。
ショスタコーヴィチには冷戦中のソビエトロシアを思わせる重々しさ、ブルックナーにはインテンポで力強くて厚みのあるサウンドが不勉強な聴衆に刻み込まれているようです。そこから外れるものだと「らしくない」呼ばわりされていますね。
ダニング=クルーガー効果
ダニング=クルーガー効果とは、能力が低い人ほど自分を過大評価し、自分の能力を正しく認識できない認知バイアスの一種です。そうでなければ、楽譜すら読まない人が「○○(作曲家)らしさ」について軽々しく判断できるはずがありません。
結局のところ、理論や作品を学ばないコンサートゴーアーや音源マニアが言う「○○(作曲家)らしさ」の正体は、「オレの好みに合わない」の言い換えや、ダニング=クルーガー効果に陥っているからなのです。
聴衆よ、勉強しよう。