前回の記事では、聞き手の成長とは、そのとき聞いた実演奏や音源がたとえ駄演凡演であったりいい演奏だけど気に入らなかったとしても次も聞こうと思う意欲を持ち続けること、とした。今回は、そうした聞き手の成長がどう未聴音源の発生や増加を促すかについて書き、最後に結びを置きたい。
実演を聞く機会がなく音源しか音楽鑑賞の手段がない場合、同じ音源を聞き続けるクラシック音楽ファンは多くはないし、観測範囲ではのめり込むほど音源を増やし続ける。
未聴音源は、先ずは単純に「飽きたので他の演奏や曲を聞いてみたい」と思うことから発生するだろう。
知識の獲得や視聴経験を積み重ねると、好奇心や成長によって意欲から、同じ作曲家が書いた他の作品や同じジャンルで違う作曲家が書いた作品、はたまた同じ曲を違う奏者による演奏の音源を聞いてみたく思うようになるだろう。それでボックスセットの一つでも買って好きな曲をくり返し聞くようになり、聞き終えていないうちに違う音源に興味を持ってそれを購入したらもう未聴音源の発生にチェックメイトをかけたようなものだ。ボックスセットを全部聞き終えないうちに次に聞く音源を購入してはいけないと心に決めて尚且それを維持し続けられるならともかくも、好奇心から次に聞きたい音源を購入し、聞いていないうちに購入…これが続くうちに未聴音源の山ができるのだ。
他には、作曲家や演奏家が好みではなくなった等の理由で既に買ったボックスセットの内容が気に入らなくなったから消化せずに他の音源の視聴を行うなど様々な原因があるが、未聴音源ができる理由を大きくまとめると、今聞いている音源を聞き終えていないうちに次の音源を視聴し始め、消化を行わないから。そういう単純な理由から来るのだ。未聴音源を増やさなくするためにはどうするか、これも単純なことだ。聞き終えるまで次を聞かないと決め、その決意を維持することしかない。
結びに代えて、そもそも未聴音源の何が問題なのかを書いておこう。これも単純だ。空間と金銭といった様々なリソースを有効に使うためだ。芸術や文化には効率や無駄ということを持ち出すのは野暮なことかもしれない。しかし、消費だけでは優れた聞き手になることはできない。もちろん消化に追いつかないほど消費してその中から消費することで意欲も聞き取ったり言語化できる能力もつくことがあろうが、リソースは有限でありすべての人が多く消費できるとは限らない。限られたリソースの中で最大限の成長を目指すことが文化や芸術の受容者としての成長であり貢献だとわたしは思う。
【おまけの動画】
#新春ブラームス祭 で聞いたこの曲をお届けします。